1957(昭32)年5月15日:大森競走場から改称された平和島競走場でのレースが府中市主催にて開催される
関西に比べ競艇人気が劣勢であった関東にも徐々にファンがつくようになり
売上げの最低水準も固定し、地についた運営が出来るようになってきた
1959(昭34)年:第五回全国地区対抗競走を5月のゴールデンウィークに招致し売上げ、入場者共に新記録を樹立
平和島競艇場の基盤を築く事に成功した
この頃、各地で不正事件や騒擾等が発生し、これに対する世論が極めて厳しい批判をもち
公営競技(競輪、競艇、オートレース)が開催日程の削減や宣伝等においても極端な自粛が励行された
また、問題になっていたモーターボートの騒音について付近住民の声を反映し
騒音防止対策研究会も発足された
騒音測定の実施
平和島橋南側水面にボートを進入せしめないこと
モーターの消音等を研究すること
等
スタート練習時間を規制
機材の改良などたゆまぬ努力が重ねられた
ニヵ年間の歳月をかけた研究努力が結実して、ついに消音モーターが完成され
一競走場のみの問題ではなく、業界発展のため大きな成果を上げる結果にもつながった
1960(昭35)年3月:府中市主催でとり行われていた平和島競艇場も
先きに当レース場の利用申請があった相模湖モーターボート競走組合の施行も認められ
二施行者により開催することとなる
<昭和38年度・相模湖モーターボート競走組合主催・連勝単式勝舟投票券>
時代の進展と共に競艇の発展は目覚しく
その収益水準が上がるにともない過去において振向きもされなかった本事業が
現在では江戸川、多摩川共に
二施行者の開催となり
その収益は公営事業として自治体財政に欠くことのできない高価な財源となっている
1963(昭38)年:従来の土盛スタンドを解体し約6ヵ月間を要して
全国競艇場に先駈け初の冷暖房付特別観覧席を設置
新設スタンド完成を期して新たに制定された施設改善特別競走を実施しファンの要望に答えた
平和島競艇場の発展と共にいつしか施設会社も株式会社平和嶋から京急開発株式会社へと発展を続けている
東京都大田区平和島1−1−1
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